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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[119]

投稿日:2013年3月29日

琉球の原風景が残る島

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 伊是名島西部の勢理客から南部の伊是名へ。
 1島1村の伊是名村は元々は東部の仲田村と諸見村、西部の勢理客村、南部の伊是名村の4村から成っていた。
 古い家並みの残る伊是名に入ると、旧家の銘苅家を見学。この琉球の古民家は国の重要文化財に指定されている。漆喰で塗り固められた屋根の上には魔よけのシーサーがのっている。そのあとアドレスを走らせて伊是名をグルリとひとまわりしたが、「琉球の原風景」を感じさせるような集落のたたずまいは目に残った。
 伊是名を出発し、次にアハラ御嶽を参拝。そこからの眺めはすばらしい。海に落ち込む岩山は伊是名城址。その向こうには沖縄本島最北端の辺戸岬がはっきりと見えている。この自然がアハラ御嶽のご神体になっている。沖縄の御嶽はどこもそうだが、まさに自然崇拝で、ご神体は自然そのものなのである。
 これは本土でも同じこと。
 日本最古の神社の大神(おおみわ)神社のご神体は背後の三輪山だし、京都最古の上賀茂神社のご神体も背後の神山だし、諏訪大社四社の中では一番古い上社前宮のご神体も背後の守屋山だ。沖縄の御嶽は日本の神社の原型といっていい。
「伊是名島一周」の最後に仲田港近くの御庭公園に行き、若き日の尚円王の像を見た。琉球王国の第二尚氏王朝の祖、尚円王はここ伊是名島で生まれた。
 1429年、尚巴志は三山を統一し、琉球王国を打ち立てた。しかし統一後も内乱が絶えず、第一尚氏王朝は63年間で瓦解した。そのあとを継いだのが尚円王を祖とする第二尚氏王朝ということになる。
 御庭公園を最後に仲田港に戻り、「フェリーニュー伊是名」に乗船。2時間かけての「伊是名島一周」は21キロだった。

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伊是名の集落
伊是名の銘苅家


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アハラ御嶽
伊是名城址の岩山


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御庭公園の尚円王像
仲田港に戻ってきた


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